「煙が消えるその前に」
飯嶋桃代+斎藤英理
横浜市民ギャラリーB1
2025 4.3-4.13
「ハーフ」と呼ばれる人々におけるルッキズムの問題は、時代や地域を問わず普遍的に存在し、当事者に生きづらさをもたらしてきました。日本では、第二次世界大戦後の米軍進駐に伴い、多くの「混血児」が誕生しました。その中には孤児として施設に預けられるケースもあり、貧困や差別が社会問題として取り上げられました。彼らは日本とアメリカの間で宙ぶらりんな存在として、その立場は曖昧にされ、長く不可視化されてきました。
多くの「混血児」は、見た目を理由に差別を受け、進学や就職の場面で困難に直面しました。彼らの持って生まれた容姿は本人にはどうしようもないものでありながら、異質なものとして社会の視線を浴び続けてきたのです。1960年代に入ると風向きが変わり、「ハーフ」ブームが到来。メディアで好意的に取り上げられるようになりましたが、これもまたルッキズムの産物でした。白い肌や高い鼻といった特徴が羨望の対象となり、「ハーフ」という存在は、見た目の問題として語られるようになったのです。
その後、「ハーフ」たちは自らのアイデンティティを発信するようになりましたが、現在においても、「あなたは何人?」「両親はどこの国の人なの?」といった直接的な問いや、異質なものへの視線を浴びる日常は変わっていません。飯嶋と斎藤は、この問題を過去や他地域の問題としてではなく、現在の私たちにも関わるものとして捉え、向き合っています。その問題意識を象徴するキーワードとして、本展では「マイクロアグレッション」と「混血児の墓」に着目します。
「マイクロアグレッション」とは、意識的・無意識的を問わず、周縁化された集団に向けられる差別を指します。「ハーフ」と呼ばれる人々への差別の視線は、戦時と平時では異なる形をとるものの、その差別意識は無自覚のうちに私たちの意識の奥底に潜み、何気ない言葉や仕草の中に煙のように立ち現れます。「混血児の墓」では、神奈川県横浜市にある根岸外国人墓地に埋葬されたとされる 800体の「混血児」の嬰児にまつわる記憶に焦点を当てています。この出来事に関する資料はすでに消失し、現在では口承によって語り継がれています。そのため、事実としての証明は困難でありながら、半ばフォークロアとして残り続けています。しかし、歴史の中で語り継がれるということ自体が、戦後の「混血児」たちが置かれた過酷な環境を忘れてはならないという思いの表れなのかもしれません。
この墓地には、今にも消え去りそうな歴史の気配が漂っています。赤土がむき出しになった墓碑なき墓地で、彼女・彼らの声なき声に耳を傾けること。そして同時に、私たちの無意識の奥底に潜む差別意識が、時折煙のように立ち現れるその正体を探ること。本展は、その試みとしての作品展示となります。

撮影:間庭 裕基 photo:MANIWA Yuki